私とうつと漢方薬:うつと育児と新しい生活へ
おはようございます。
ゆきみそうです。
読者の方もたくさん増えて来てくださり、嬉しい限りです。
本当にありがとうございます。
つたないブログですが、これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
里帰りが終わり、家に戻った私たちの新しい生活が始まりました。
引越しをしたので、車の運転ができない母は簡単に来れなくなりました。
病院や漢方薬局に行くために母に子供たちを預けるときは、私が2人を連れて運転して通いました。
本当は運転はしないほうがいいと、心療内科の薬の説明所にも書いてあったのですが、車がないと生活できません。
どうしてもの時だけ、充分注意しながら、無理しないように運転しました。
それでも集中力が欠けているせいか、1年に1度は車をどこかにぶつけてしまいました。
免許を取って10年以上、そんなことは1度もなかったのですが…。
もちろん、今ではそんなことはありません。
もう少し後で詳しくお話ししますが、薬を使わなくなって、頭のぼんやりもなくなりすっきりして、まるで視界が広がったかのような気分で、運転できるようになりました。
頭のぼんやりは、サインバルタを飲んでいれば仕方のないことだと病院でも言われました。
1月に出産して、家に戻ってきたのは2月の中ばでした。
4月からは3歳になる1人目が幼稚園に入ります。
そのための準備が山のようにありました。
できるお母さんにはそんなに大変ではないのかもしれませんが、はじめてのことで私には大変に感じました。
頭の中で考えるだけだと、またパニックになってしまうので、紙に書き出して1つづつ終わらせていきました。
今日は通園用のバックを作り、明日は防災頭巾のカバー、と1つずつこなしていく感じです。
コップ袋にお弁当袋、お弁当用のナフキンも作り、幼稚園の洋服に子供の好きなワッペンを付けてあげたりしました。
もともと手芸は好きなのですが、集中力がすぐに切れてしまうので、毎日少しずつ準備していきました。
一番大変だったのはお名前付けです。
着ていく洋服、持ち物、下着、靴下の1つ1つにすべて名前を付けなければいけないので、通信販売でアイロン接着の名前シールを買ったりしてたくさんのものに1つ1つ名前を付けていきました。
薬のおかげで症状は安定していました。
2人目もそろそろ2ヶ月を迎えるころ、幼稚園が始まりました。
家族全員で入園式に出かけ、走り回る子どもを追いかけながら入園式を終えました。
バス停は歩いて10分かかります。
毎日首の座っていない赤ちゃんを抱っこして、子どもの手をひいて、バス停に向かう生活が始まりました。
バス停までの往復は、散歩気分で私にとっても気分転換になりました。
心療内科の先生からも、少しでいいから太陽の光を浴びるといいと聞いてはいたのですが、なかなか実践できずにいました。
朝日を浴びて歩くのは気持ち良かったです。
幼稚園のおかげで朝も早く起きるようになり、夜は8時に寝る生活になりました。
最初はちゃんと起きられるのか不安でしたが、思ったよりも楽に起きることができました。
薬を軽くしてもらっておいたのも良かったのかもしれません。
子どもが幼稚園に通っている間は、赤ちゃんと2人きりです。
でも寂しさを感じることもなく、静かな時間にゆっくり休むことができました。
この時間を使って、心療内科と漢方薬局にもまた通い始めました。
妊娠中は心のバランスがいい状態をキープできるということで、サインバルタを3錠から2錠に減らしていました。
心療内科の先生に、元に戻したほうがいいかを相談してみると、今のままで問題なければ、2錠のままで行きましょうと言われました。
このまま減薬につながれば、それに越したことはないし、私もその方が良かったので、そう言ってもらえて嬉しかったです。
漢方薬局では、今までどおり1時間、時間をとってもらって診察してもらいました。
今は子育てに専念して、うつとはうまく付き合っていく時期だと判断し、生活に支障の出ないようにしたいという希望を伝えて、薬を調合していただきました。
赤ちゃんをお腹で育てるために血液を増やす役割を持つ漢方薬を処方してもらっていましたが、母乳は血液から作られるので、それは継続することにしました。
先生にも、
「赤ちゃんを産んで、身体が元に戻るのにはもう少し時間がかかるけれど、以前に比べたら脈も力強くなっているし、身体は元気になろうとしているので、このままがんばりましょう」
と言われました。
ここから数か月、赤ちゃんの首がすわって、子どもが幼稚園に慣れるくらいまで、そんな生活が続きました。
体力も戻ってきて、自分の心にも余裕が出てきたころ、また減薬に向けての治療を再開することにしました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
何か聞いてみたいことはありませんか?
私の経験でお役に立てるなら、お話したいと思っています。
お気軽にコメントお寄せください^^
私とうつと漢方薬:うつを抱えて新しい命を迎えました
こんにちは。
ゆきみそうです。
もともと、うつ病になりやすいタイプだったのかもしれません。
真面目で我慢強く、責任感も強い性格。
ストレスと上手に発散させる方法を知らなくて、ため込んでしまってはお腹が痛くなり、胃薬や痛み止め、ビタミン剤で紛らわせていました。
いつも先のことが不安で、「そんなことない」と自分で不安を打ち消しては、少しずつ前に進んで生きてきました。
今まではそれでなんとかバランスがとれていたのですが、出産という大仕事とホルモンバランスの乱れによって、私の中のバランスが一気に崩れてしまいまいた。
一度崩れたバランスはそう簡単には戻りません。
私は最初はすぐに治ると思っていましたが、症状は悪化する一方。
心療内科で本格的な治療をはじめ、その後、漢方薬局で体を整えるための漢方薬を処方してもらって、だんだん回復していきました。
時間はかかりましたが、望んでいた2人目の出産まで実現できたのは、支えてくれた人たちのおかげです。
夫、母、子どもたち、親友、心療内科の先生、漢方薬局の先生、保健士さん、多くの人の理解を得られ、協力してもらえたおかげで実現できたことです。
2人目も、産婦人科の先生の心配していた障害も特になく、無事に元気で生まれてくれました。
宝物が増えた瞬間でした。
いくら感謝しても足りません。
入院中も、薬は欠かさず飲んでいました。
漢方薬はさすがに煎じることができなかったので、母に煎じたものをマグに入れて持ってきてもらい、それを飲んでいました。
そのおかげか、1人目の出産のときは不安で押しつぶされて眠れなかったのに、2人目の時はぐっすり眠ることができました。
1人目で経験しているからか、いいようもない不安に襲われることもなく、心の状態は安定していました。
入院中の食事もしっかりいただき、母乳が出るようにマッサージを欠かさず行い、お世話に励みました。
退院後は実家で過ごしました。
赤ちゃんは元気に産まれて来てくれたものの、母乳を吸う力が弱く、どんどん体重が減っていってしまいました。
1週間後の検診の先生の指示で、母乳中心からミルク中心に切り替えましたが、「赤ちゃんが大きくなってくれるならそれでいい」と落ち込むこともありませんでした。
以前の私なら「母乳=母」のイメージが強かったので、深く落ち込んでいたと思います。
でも、赤ちゃんのことを考えたらそうもいっていられません。
先生の指示に従って、ミルク中心に変え、飲む量もほんのわずかだったので、頻回授乳にして、なんとか体重をもどそうと必死になりました。
そのおかげで、成長曲線よりはずいぶん下でしたが、少しずつ体重も増えていきました。
1人目の子も、ミルクをあげるのを手伝ってくれたり、オムツをとってくれたりと手伝ってくれて、助かりました。
赤ちゃんが眠っているときは、ずっと私にくっついていましたが。
通院できなくなることを考えて、薬は多めに処方していただきました。
心療内科の薬は、必要量の倍で出していただき、2ヶ月分ストックしました。
先生も事情を分かってくださり、無理しないでと言ってくださいました。
漢方薬局の方は、2週間ごとに通っていましたが、4週間分出していただき、それを煎じて飲みました。
足りなくなったら、「名前を言ってくれれば事情は分かっているので、代理の人でも薬を出しますよ」と言ってくださったので、母にお願いして切らすことのないようにしました。
うつを抱え、薬を飲みながらも授乳をし、赤ちゃんの成長に全く影響がないわけではないと思いながらも、「きっと大丈夫」と信じて、周りに助けてもらいながら育児をしていました。
里帰りが終わり、家に戻ってからも、それほど辛いと感じることはありませんでした。
1人目の幼稚園が始まる時期と重なっていたので、準備もたくさんあり、辛いと思っている暇もなかったのも良かったのかもしれません。
引越しをしていたので母に来てもらうことはできなくなっていましたが、悩み事は保健士さんに相談しながら、病院にも、漢方薬局にも通いながら、たまに母に電話で話を聞いてもらって、私たちの新しい生活が始まりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
何か聞いてみたいことはありませんか?
私の経験でお役に立てるなら、お話したいと思っています。
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私とうつと漢方薬:治療しながらの妊婦生活、出産へ
おはようございます。
ゆきみそうです。
うつの薬を飲みながら、漢方薬も飲みながら、妊娠生活を送りました。
妊娠8ヶ月頃になると、1人目の子の赤ちゃん返りが始まってしまったので、手を焼きました。
これも成長の証なんだと、今のうちにたくさん甘やかしてあげてあげたのが良かったようです。
いつもぴったりくっついて甘えてくる子供に、優しく接する時間をたくさん作って、児童館などにも積極的に出かけて行きました。
私の運動にもなってちょうど良かったです。
薬の効き目も順調でした。
西洋薬と漢方薬の併用のおかげで、今の私に必要な効果のある薬をいつも提供してもらえました。
自分の体調について、何かあったらすぐに相談できる場所がある、というのも安心して妊婦生活が送れる要因の1つだったと思います。
8か月を半分も過ぎるころには、1人目の臨月くらいまでお腹が大きくなってしまって動くのが大変でした。
しかも、ぽこぽことよく動く赤ちゃんで、予定日の2週間前になって逆子になってしまい、このままでは帝王切開になってしまうということで、慌てて逆子体操をがんばりました。
そのがんばりのおかげで、1週間後の検診では逆子も治っていました。
予定日の1週間前、産院では「しばらく産まれそうにないね。予定日くらいでしょう。」と言われて一度家に帰りました。
でも、その日の夕方に急にお腹が痛くなってきたのです。
私は「もしかして!」と思い、1週間後に予定していた里帰りを、急きょその日からに早めてもらいました。
そして、その日の夕飯時、実家で陣痛が始まりました。
感覚が10分ずつになって病院に電話。
「すぐ来てください」
と言われ、入院用の荷物を抱えて病院へ。
そして6時間後、無事に元気な赤ちゃんが産まれました。
産む直前までずっと動いていてじっとしてくれないので、なかなか出て来てくれなくて大変でした。
苦しい中、夫が付き添ってくれたのがとても心強かったです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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私とうつと漢方薬:妊娠中の治療
こんばんは。
ゆきみそうです。
無事に妊娠し、うつ病を抱えたままで赤ちゃんを産む決意をした私。
本当はうつを治してからにしたかったけれど、こういう結果になりました。
それでも少し前に進めた気がしました。
応援してくれる家族も先生方も親友もいます。
とても心強い存在です。
そんな人たちに支えられながら、私のうつを抱えたままの妊婦生活が始まりました。
まず私が考えたのが、睡眠についてでした。
赤ちゃんを産むと夜中に起きることも多くなります。
それまでは夜にぐっすり眠れる薬を出していただいていましたが、心療内科で相談して睡眠薬を調整していただくことにしました。
今までは強めの睡眠薬を使っていたのですが、それを少しずつ減らして、もう少し軽い薬にスライドしていく治療が始まりました。
とても時間がかかりました。
たまに眠れないこともありましたが、
少しずつ少しずつ量を減らして、体を慣らしていきました。
数か月かけて強い薬を卒業し、もう少し弱い薬で効き目の切れが早いものに変えていただきました。
なにも飲まないでは眠れないけれど、赤ちゃんが夜中に泣いても、ちゃんと起きてお世話してあげられる。
その状態までもってこれました。
赤ちゃんが生まれるまでに準備できたので良かったです。
妊娠すると、つわりがありますね。
それに、眠気も増してきます。
眠気についてはあまり問題ありませんでしたが、つわりはやはり辛かったです。
1人目の時は、生まれる瞬間までつわりに苦しみました。
生まれた瞬間、吐き気から解放された感じでした。
2人目も覚悟していましたが、やはり少し辛かったです。
でも漢方薬を飲んでいたおかげか、本当にしんどい時期は何も食べられませんでしたが、その時期も長くは続かず、安定期に入ってからは軽い吐き気がずっと続く程度でした。
吐き気はうつの症状の中でも悩んでいたものので、つわりだからというより、今までの吐き気がずっと続いているという感覚でした。
一方で赤ちゃんの成長は順調でした。
毎回、心臓の音を聞かせていただき、エコーの写真をいただいて、「順調ですよ」と言っていただき、順調に体重が増えていく赤ちゃんの成長を素直に喜べました。
色々な検査もすすめられましたが、もしも検査の結果が悪かったからと言っても、私はこの子を手放すつもりはなかったので、夫と相談して、検査は受けないことにしました。
胎動も少しずつ感じるようになり、だんだん大きくなってくるお腹をさすっては、「元気に産まれて来てね。待っているよ。」と声をかけていました。
睡眠薬の減薬に成功するのには、6ヶ月ほどかかりました。
早めにはじめてよかったです。
これも断薬の1歩だと思って、成功したときはとても嬉しかったのを覚えています。
漢方薬も妊娠を促進するものはもう抜いてもらって、身体の血液の循環を良くするものを加えていただいたりして、赤ちゃんにも私にも良い働きをしてくれるものを処方していただきました。
自分の今の状態に合わせて調合を変えていただけるのが、本当にありがたかったです。
こうして私のうつを抱えたままでの妊婦生活は、順調に進んでいきました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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私とうつと漢方薬:うつを抱えたまま産婦人科へ
こんにちは。
ゆきみそうです。
漢方薬と西洋薬の併用をはじめ、漢方のおかげで食事もできるようになり、体重も少しずつ戻って、身体も今までよりは自由に動くようになってきました。
元気と言えるほどではありませんでしたが、1日中ぐったりして起き上がることができない日はほとんどありません。
だんだんと元気になってきている気がする…そう思えたのは、私の周りの人たちの反応でした。
母に会っても、「今日は調子よさそうじゃない」と言われたり、
病院の先生も「今日は表情がいいですね」と言われたり、
漢方の先生にも「体が回復してきていますよ。顔色も良い。」と言ってくださいました。
それを聞いて、
そうか、私は元気になってきているんだな、
と、実感できました。
そして、とうとう妊娠が可能になるくらいまで体は回復し、無事に妊娠もできました。
簡易チェックで陽性反応が出たので、私は産婦人科に行きました。
そこで思いもよらないことを言われました。
「産むか、産まないか、よく考えてから決めてください。また次回、答えを伺いますから。」
と真剣な顔で言われたのです。
てっきり1人目の時と同じように笑顔で「おめでとうございます」と言ってくださると思っていたのに。
年齢のこと、薬のこともあり、先生は私が望ましい状態での妊娠ではないので、赤ちゃんに何かしらの影響が出ないとも限らないということを心配されたようです。
私はその場で即答できず、次の予約を入れました。
心は決まっていたはずなのに、先生の言葉に急に迷いが出てしまったのです。
夫にもう一度相談して、母にも相談しました。
そして結局最後には、今私のお腹に来てくれた赤ちゃんを、産んで、育てたいという強い思いで、産むことを改めて決意しました。
もし何かあったとしても、受け入れよう。
私はこの子のお母さんなんだし、赤ちゃんは私のところに来てくれた。
このことに間違いはないんだから、私は今を受け入れてこの子を育てよう。
強く決意し、次の診察で、「産みます」と伝えました。
産婦人科の先生は
「障害の可能性は否定できません。お薬も飲んでいるし、年齢的にも、1人目の時より可能性は高い。それでもいいんですね?」
そういわれましたが、もう私の決意は揺るぎませんでした。
「私のところに来てくれた赤ちゃんです。産みます。」
そういうと、先生はやっと微笑んでくれました。
「では改めて、おめでとうございます。一緒に頑張っていきましょうね。」
そういってくれたのがとても嬉しかったです。
みんなに祝福された、望まれた妊娠です。
治療をしながら私の妊婦生活が始まりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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私とうつと漢方薬:西洋薬と漢方薬して次のステップへ
こんばんは。
ゆきみそうです。
このブログでは、うつ病に漢方薬を取り入れることで断薬できることを、私の経験からご紹介しています。
こういう治療で治った人もいる、治療方法の1つとしてご紹介しています。
私の経験がどなたかのお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。
そんな私ですが、最初からうまく治療が進んだわけではありません。
西洋薬と漢方薬の併用が本格的に始まったのは、転院してからでした。
漢方薬ではそのサポート兼、私の体が元気になるように調合をしてもらい、
組み合わせることで体の力を取り戻し、少しずつ薬の量を減らしていくことにしました。
半年ほど通った頃でしょうか…
漢方薬の先生が言いました。
「そろそろ、妊娠しても大丈夫なくらい体が回復してきたよ。希望してたよね?まだその気持ちがあるなら、効き目のある漢方薬を入れることもできるし、ツボも効果があるからやってみる?今飲んでいる薬なら、そのまま飲み続けても問題ありませんよ。」
それを聞いたとき、本当に嬉しかったです。
私の目標は、「うつからの卒業と、二人目の子どもを産むこと」
心療内科の先生にも、今の薬を飲みながら妊娠しても大丈夫かどうかを相談しました。
「絶対ではないけれど、この薬が胎児に影響したという報告はありませんよ。私の立場では大丈夫とは言ってあげられないけれど…。」
とのことでした。
年齢のこともあったので、私は妊活を始めました。
漢方薬局に行くたびにツボにお灸をしていただき、自分でもお灸を買って自宅でやってみました。
もちろん薬も欠かさず飲みました。
そして3か月後、私のお腹に新しい命が宿りました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
メリークリスマス☆
私とうつと漢方薬:新しい病院での治療が始まりました
こんにちは。
ゆきみそうです。
前の病院での紹介状の封筒をもって、私は新しい病院での治療をスタートしました。
はじめて病院にかかった時は、「誰でもいいから助けて!」と、すがる思いで心療内科にかかりました。
でも、治療が進むにつれて症状も落ち着いてきて、冷静に自分のことを見られるようになってきました。
すると、待ち時間も長いし、車で通うのも大変だし、言いたいことは言えないし、先生は私の方を見て話しを聞いてくれないのも不安だしで、少しずつ違和感を覚えるようになりました。
そして「この病院は私に合っているのかな?」と疑問に思うようになったのです。
悩んだ末、転院を決意しました。
もともと私は人に自分のことを話すのが苦手でした。
思っていることを人に話すなんて、恥ずかしいと思っていたのです。
親にも友達にも、だれにも自分のことを話したことはありませんでした。
でも、この病気になって、保健士さんや母や親友、心療内科の先生、漢方薬局の先生に自分のことを話すという経験を重ねるうちに、人に話せば楽になることがわかりました。
それ以降、私は自分のことを人に話すことへの抵抗が薄れていきました。
自分の殻を破った感覚です。
人生は何事も経験。
得るものもあったのだな、と今では思います。
新しい病院でも、自分の症状やこれまでの経緯、今後どうしていきたいのかをきちんと冷静に伝えることができました。
新しい先生は女性で、穏やかな優しい先生でした。
先生の目の前にパソコンがあったのが気になりましたが、それでも話をするときはちゃんと私の方を向いてくれました。
初診は、紹介状を見ながら症状を確認していきました。
「向こうの先生はどうしてあなたが転院を考えたのかわからなかったみたいね。そうやって書いてある。ちゃんとお話しできなかった?でも、気にしなくても大丈夫だから。」
そう言ってくれました。
症状についてはきちんと詳細に書いてあったようで、診断名は「産後うつ」ではなく、「うつ病」になっているけれど、これは時間の経過でそういう呼び方になっただけだから、と説明されました。
子どもも夜中に起きることがなくなっていたので、しっかり眠れるように睡眠導入剤を処方しましょう、ということになり、サインバルタと併用して飲むことになりました。
ちゃんと漢方薬局に通っていることも伝え、次の子どものことも考えているので、いずれは漢方薬に移行してそのまま薬を卒業したいということも話しました。
前の病院では漢方薬局の話をできる雰囲気ではなかったのが私の中でネックになっていたので、併用したいということをちゃんと伝えて治療したいと思っていたからです。
それでも先生は嫌な顔もされず、「わかりました。でも焦らないでゆっくり治療していきましょうね。」と優しく言ってくれたのが嬉しかったです。
小さな病院でしたが、アットホームな雰囲気だったのも、安心できました。
待ち時間が短かったのも嬉しかったです。
そのことについて話すと、
「うちでも多少の遅れがでることはあるけれど、毎回2時間以上も待たされるのはつらかったわね。」
と言ってもらえて、待つのが普通だと思っていた私には驚きでした。
もし待ち時間があるときは、外に出ていていいですよと言ってくれ、自分の番が近くなると「そろそろ順番なので戻ってくださいね」と携帯に電話を入れてくれました。
体調もまだすぐれなかったので、2週間に1回通うのは辛いという話をすると、「最初は薬の効きを見るために、2週間で通ってくださいね。慣れてきたら4週間にしましょう。」と言ってくれ、自分の希望を言ってもいいんだ、聞いてもらえるんだと分かりました。
私は転院して良かったと思っています。
漢方薬局の薬と、新しい病院の薬を併用して、新しい治療が始まりました。
でも副作用も出ることなく、順調に治療は進んでいきました。
少し長くなったのでこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました。